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りずむ 第六号 ー文学の東西、文明としての戦後ー

*はじめに       橋元淳一郎

*「遠いおとぎの国」へのメッセージ

—トーマスマンから「日本への新年の挨拶」、1947-1954 — 
                                             ヴォルフガング
シュヴェントカー

 『ペスト』再読                   東浦 弘樹

*戦後の肉体— 彫刻、マネキン、額縁ショウ  平瀬礼太

*文学にみる東西— 志賀直哉と谷崎潤一郎の関西移住—     
                                                                             呉谷 充利

*池田小菊未発表原稿   朝顔    翻刻・解説   吉川仁子  弦巻克二

宇宙の絨毯模様――時空とリズムに関する論考(四)

                                                 橋元 淳一郎

編集後記

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りずむ 第六号 -文学の東西、文明としての戦後- 

りずむ 第五号 —たゆたう美と芸術あるいは時ー

 もくじ

*はじめに        平瀬 礼太

*『最初の人間』と『涙するまで、生きる』 
—アルベール・カミュの小説の映画化をめぐって— 東浦 弘樹

* 敵を打つ、いや敵の像を打つ  平瀬 礼太

*作品にみる神経と心持ちあるいは精神—小出楢重、谷崎潤一郎と志賀直哉— 呉谷 充利

*ヴァージニア・ウルフの始まりと終わりの地 ―セント・アイヴスとロドメル 石川 玲子

池田小菊未発表原稿  彼女の犯罪    翻刻・解説 吉川 仁子 ・弦巻 克二

*切手の失敗作  梁瀬 健

エントロピー増大の法則と時間の流れ――時空とリズムに関する論考(三) 橋元 淳一郎


  編集後記

りずむ 第五号—たゆたう美と芸術あるいは時ー 白樺サロンの会

りずむ 第四号 —生のかたち —

はじめに           弦巻 克二

*草むらの梨の木       暮 秋至

*パーティにおける生と死 —ヴァージニア・ウルフとキャサリン・マンスフィールドの作品から    石川 玲子

*脱衣と着衣の間 —裸の彫刻の近代  平瀬 礼太

*続片輪車蒔絵螺鈿手箱の流転     梁瀬 健

*相対論と主観的時間-時空とリズムに関する論考(二)                                                  橋元 淳一郎

*文学と科学—志賀直哉の「不安焦慮」、湯川秀樹「深山木」—
                        呉谷 充利
*池田小菊未発表原稿「淋しき存在」翻刻・解説                                                             吉川 仁子   弦巻  克二
 
*ひらがな考
 —文字と文学—           呉谷 充利


編集後記

りずむ 第四号 白樺サロンの会

りずむ 第三号 ー池田小菊「ナハロフカ(無能者」ー 平成26年3月

目次

口絵  志賀直哉「万暦赤絵」(本能寺蔵 京都)
*はじめに

* 池田小菊「ナハロフカ(無能者)」 翻刻・解説 弦巻克二・吉川仁子

*超現実と新体制と裸と  平瀬礼太
*柳宗悦と志賀直哉民衆的工藝品と万暦赤絵   呉谷充利 

*片輪車螺鈿蒔絵手箱の流転  梁瀬 健

*時間系列の話ー時空とリズムに関する考察(一) 橋元淳一郎

編集後記

*芥川候補に名を留めた作家、池田小菊の「ナハロフカ(無能者)」は、吉川仁子・弦巻克二両氏によって、今回、脱稿の一九三二年からじつに八十数年をかぞえて塵埃から日の目を見たものである。まさに歴史の一ドラマといえる。昭和のはじめ、異国(右写真、上から2,3段)の出来事を描く一級の文学作品であろう。

が、この作品がどこか今日の世相に重なって見えてくるのは、妄想であろうか。

「超現実と新体制と裸と」平瀬礼太氏による寄稿である。氏は彫刻評論に独自の社会的視野をひらいている。書かれる「裸体彫像」の考察は、彫刻を通した近年の新たな文化論ともいえるもので、その展開が注目される。

「片輪車螺鈿蒔絵手箱の流転」はこの第一級の美術品が辿った歴史の顛末であり、梁瀬健氏によるいわば追跡的記述である。名品をめぐる富者の盛衰が透けて見える。小記事ながら、この歴史の一幕は圧巻である。

「時間系列の話 時空とリズムに関する論考橋元淳一郎氏による寄稿である。物理学、生物学、心理学、文化人類学、哲学をも含めた時間にたいする氏の考察は、ジャンルを超える誠に魅力的なテーマである。展開される思索が待ち遠しい。

「柳宗悦と志賀直哉民衆的工藝品と万暦赤絵は、呉谷充利による。柳と志賀の同様な美的精神性について述べられている。「万暦赤絵」(右下段 写真)は志賀の身辺記である。谷崎の審美的世界にたいする志賀の日常の主題性は、柳とともに東洋的な独自のモダニズムにたどり着いていることをいう。

* 右上段の二つの写真は当時満州在住の読者から送られて来た資料の一部(転載)〜『別冊 一億人の昭和史』1980 毎日新聞発行。往時「ナハロフカ」の郷愁が伝わる。 

りずむ 第三号
東洋のモスクワ ”ハルピン” ソフィスカヤ寺院(1912)
中国街の銀座”フーチャーチン”(1907)
志賀直哉「万暦赤絵」〜本能寺蔵(1645年 重要文化財 京都)

りずむ 第二号 ー白樺サロンの会 五周年記念号ー 平成25年3月

もくじ
 

口絵 志賀直哉 「ばら」

 はじめに

 夏目漱石と志賀直哉 漢籍から美術へ      呉谷 充利

 志賀直哉と禅                弦巻 克二

 瀧廉太郎と荒城の月             梁瀬 健

 彫刻と傷痍軍人               平瀬 礼太

 ノスタルジアII —往年の文芸映画とロケ地を辿って     
                                                                                  中村一雄
 相対論の直観的認識について                             橋元 淳一郎

 
編集後記

志賀直哉と禅
いわゆる無宗教といわれる志賀直哉の宗教性を禅の視点から述べたものである。志賀直哉の日記、手紙、作品をたしかな資料としながら、祖父・直道、叔父・直方を通していわば自然なかたちで現われる宗教とのつながりは、志賀直哉像にたいする深みと相まって、清涼な読後感を漂わせるものなっている。

彫刻と傷痍軍人
朝倉文夫「再起の踊」(右写真下段)(第4回新文展出品 1941)に改めて光りを当てるところは、著者ならではの視点である。「この彫刻で何を表現したのであろうか」という一文はそのまま著者の美術論を示唆する。不思議にその彫刻は戦争をテーマにしながらそれを超える人間の深部の感情を見せてくる。著者の眼において見えるものが浮かび上がってくる。

瀧廉太郎と荒城の月
ほとんど知られていない「荒城の月」の創作をめぐる話である。明治の欧化政策のなかで、この曲は「我が歌詞の基きて作曲したる」ものであった。改めていわゆる芸術や音楽がそれぞれの国土とつながって生命を得ていることに気付かされる。土井晩翠の詞をもって作られたこの曲目の美しさは偶然のものではなかったのである。

ノスタルジアII
奈良高畑界隈、春日の森で撮影された「羅生門」のロケを皮切りに、文芸作品と往年の映画のロケ地を巡るいわば旅である。この著者であればこそ、眼にし得たその光景が綴られる。望郷的な今はなきシーンである。歴史と無縁になりがちな近代への抵抗がじつは隠されたテーマになっている。タイトルの「ノスタルジア」がこのことを示している。

相対論の直観的認識について
著者はまず「人が世界を理解するというとき、そこには何かしらの直観が伴っている」と述べる。その直観は岡潔のいう「感情」とつながっている。この見方から、いわゆる難解で分かる人は世界に僅かしかいないと云われたアインシュタインの相対論に迫る。著者の解説により、最先端の知が驚きをもって人間の側に近づいてくる。

夏目漱石と志賀直哉漢籍から美術へ
志賀直哉は画家になりたかったとも云う。自身による絵(右写真中段)はその力量を十分に感じさせる。絵は対象を克明に描写している。文体に通じているリアリズムは深く精神の意味に届く。学習院の図画工作にはじまる直哉の美術の意義が漱石の漢籍と比較されながら、作品を交えて述べられる。新たな見方といえる。

 

りずむ 第二号
志賀直哉「ばら」〜りずむ 第二号 口絵より
朝倉文夫「再起の踊」〜平瀬礼太氏「彫刻と傷痍軍人」(『りずむ 第二号)より

りずむ 創刊号 平成24年3月

目次
口絵 見つかった谷崎、志賀の観音像(早稲田大学会津八一博物館収蔵)
   *
りずむ創刊(白樺サロン改称)に寄せて 呉谷充利

   *幻の観音様とご対面 梁瀬健

   *見つかった谷崎・志賀の観音像 呉谷充利

   *池田小菊未発表原稿「思はぬ旅」 吉川仁子・弦巻克二

   *奈良の近代と美術 番外編 平瀬礼太

   *奈良の数学者「春雨やよもぎをのばす草の道」                      
— 松原さおり(次女) 
さんから見た岡潔 聞き手呉谷充利(志賀直哉旧居サロンにて)

   *リズムと物理学 橋元淳一郎

   *奈良の景観とその変遷 中村一雄

 
 
 編集後記

梁瀬健氏の「幻の観音像とご対面」は『白樺サロン』創刊号に寄稿された「志賀直哉旧居と谷崎潤一郎の観音像」の帰結である。平安時代の作とされる谷崎・志賀愛蔵の観音像の顛末が両作家の人生の偽らざる側面を伝える。 

吉川仁子・弦巻克二両氏翻刻の「池田小菊未発表原稿」は一連のシリーズになっており、内容的に前三号の『白樺サロン』とつながっており、志賀直哉在住時の奈良がこの女流作家の眼を通して描かれて、その空気をみごとに表現している。今回の「思はぬ旅」は志賀直哉の去った当地の雰囲気をも伝えるもので感慨深い。 

  *平瀬礼太氏の「奈良の近代と美術 番外編」は各紙書評に大きく取り上げられた同氏の著作『銅像受難の近代』(吉川弘文館)の奈良版「銅像幸運の近代」というべきものになっており、人間の真剣味とおかしみの入り混じる歴史の一場面がみごとに描き出されて、思わず笑いがこぼれる。氏の批評眼が光る。

 「奈良の数学者〈春雨やよもぎをのばす草の道〉」は著名な数学者岡潔の憶い出や思想、その生きかたについて次女になられる松原さおりさんに対談的に伺ったものであり、この対談右下段上は高畑にお住まいの松原さおりさんに願ってかなった。「質問のかたちでなら」ということでこの形式で本号に掲載させて頂いた。小林秀雄との対談『人間の建設』(新潮文庫)(右下段  写真)と合わせて重要な意味をもつものになった。文末の在りし日の写真はこの数学者の崇高なまでの姿をいまに伝えるもので、心打たれる。

 「リズムと物理学」は『時間はどこで生まれるのか』(集英社新書)を著した橋元氏のリズム論である。わかっているようでじつはわかっていないリズムと時間について今日の成果を踏まえながらこの物理学者ならではの解説が試みられており、示唆するものは大きい。「追求すべきは時間論ではなく空間論である。」という言葉は氏の思索の深さを示している。

 「奈良の景観とその変遷」は中村義夫・中村一雄父子二代にわたる奈良高畑での画業とその景観にたいする中村一雄氏の願いが述べられている。絵に描かれる高畑の景観はそのままこの地の歴史の証言であり、とりわけ「すすきの原」(1932,7)は「高畑サロン」当時の地の風情を今日に伝える貴重な記録といえる。

  「見つかった谷崎、志賀の観音像」は平安時代の作とされるこの観音像が志賀直哉の作家的精神とのつながりと同時に谷崎潤一郎においても重要な意味を有したことを述べている。具体的には谷崎が「続蘿洞先生」をこの観音像をモデルにして書いたとし、その小編は後の谷崎の文学の成立に大きな意義をもつという。
りずむ 創刊号
谷崎潤一郎から志賀直哉に譲られた観音像「直哉の時代に戻す」奈良学園資料から見つかった志賀直哉旧居二階客間に置かれた「観音像」写真〜志賀直三氏が撮影したものと思われる。案内板のこの写真が発見につながる。(平成23年10月)
数学者としての父、岡潔博士について次女になられる松原さおりさん(右)にお話しを頂いた対談、聞き手呉谷充利(左)   〜志賀直哉旧居サロン
昭和40年(1965)10月「新潮」掲載(本書より)

りずむの名称について(創刊号から)

『りずむ』(『白樺サロン』改称)に寄せて
 

志賀直哉はつぎのことを述べている。

 
(すぐ)れた人間の仕事—する事、いう事、書く事、何でもいいが、それに触れるのは実に愉快なものだ。自分にも同じものが何処かにある、それを眼覚まされる。精神がひきしまる。こうしてはいられないと思う。・・・

いい言葉でも、いい絵でも、いい小説でも本当にいいものは必ずそういう作用を人に起す。一体何が響いて来るのだろう。

芸術上で内容とか形式とかいう事がよく論ぜられるが、その響いて来るものはそんな悠長なものではない。そんなものを超絶したものだ。自分はリズムだと思う。

このリズムが弱いものはいくら〈うまく〉出来ていても、いくら偉らそうな内容を持ったものでも、本当のものでないから下らない。小説など読後の感じではっきり分る。作者の仕事をしている時の精神のリズムの強弱—問題はそれだけだ。…(後略)。」(「リズム」昭和六年)


   
前三号の『白樺サロン』を改称した『りずむ』の名は、志賀直哉が奈良高畑の旧居で書いたこの一文から取り出したものである。本誌の創刊はこの志賀直哉の思索に拠りながらよりひろいテーマ性をもって新たな出発をはかっている。


白樺サロンの会

代表 呉谷 充利       平成243

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